受験勉強について 其之参

1年ほど前からテレビの視聴時間及び時刻並びに番組名を記録している。

私は、いまだ国家資格試験の受験勉強を継続しなければならない身分である。その受験勉強に充てる時間を確保するために、最も障害となる時間はテレビ視聴時間であると考え、その削減を試みている。以前、私の主治医に「テレビを持たない」という方がいて、なるほど医療の世界ならテレビを見なくても勉強に支障は出ないだろうな、と感心したものである。
しかし、私の現在の職業上の専門分野は法学にあり、その資格試験に於いては時事的なことを問われることもあった。世間知らずでは法律家など成り立たない。行政書士試験では一般知識を、社会保険労務士試験では労働及び社会保険に関する一般常識を、受験科目として学ばなければならなかったこともあり、私はテレビや新聞などを教材として活用することを考え実行していた。
幸い、両試験とも合格することができ、現在は税理士試験の税法科目に挑んでいるが、この試験では時事的な事項は不要である。それこそテレビを捨ててしまっても良いくらいだが、テレビでも時々は税金を話題にした番組を放送することもある。経済や金融などの周辺知識まで視野に入れれば、尚更、教材になりそうな番組は増える。テレビは飲食をしながらでも視聴することができるが、それが悪癖となって、受験勉強の時間を侵犯しているのではないか、という懸念が生まれてきた。

数年前、入院生活を経験したとき、ベッドには有料のテレビが備え付けられていたが、私は、それを視聴せずに数週間を過ごすことができた。その期間は新聞も読まなかったが、なんの禁断症状もなく、淡々と日々を過ごしていた。もとより身体を回復させるための入院であったので、そんな余裕もなかったのではあるが、それまでの日々をテレビと新聞の形成する世界の中で生きてきた私としては、清々しい気分にもなれたものである。
退院後は、老親と共に生活しなければならないこともあり、私としてはテレビと新聞の世界からは離れてしまいたかったが、老親の生活習慣を壊さないようにするため、契約を解除するわけにはいかなかった。テレビも新聞も老親のお下がりであるから、経済的な負担もない。加えて法律家としての「常識」を維持することも考え、再びテレビや新聞に時間を割くようになってしまったわけである。

本来、私は会計事務所に奉職していた身分であり、税理士試験の会計学系2科目に合格しており、残りの税法3科目に合格すれば合格証書を手にすることのできる立場にいる。中途半端で終わらせたくないという理由で勉強を再開したのであるが、実は税法科目の受験には潤沢な時間が必要なのである。
公認会計士試験とは異なり税理士試験では法規基準集が配布されない。司法試験でも法文の登載されることがあるようだが、税理士試験に於いては、そのような配慮は一切ない。それではどうするかと言うと、税法の条文や政令をひたすら暗記するのである。具体的には各社で発行している理論暗記用テキストというものがあり、それを暗記するのであるが、その作業には膨大な時間を要する。
実務では、税務六法を参照したり、データベースで検索したりするので、そのような暗記作業までは必要ではないのだが、試験では、とにかく法令を暗記しないことには、答案が書けないのである。曖昧な記憶を頼りに、法令そのものをボールペンで速書きするという、実務では想定され得ないような実技が税理士試験では行われているのである。
現在の税理士試験に於いては、会計学系の2科目と「小さい」税法1科目を受験し、残りの2科目は大学院へ入学して修士論文を書き、科目免除の認定を貰って税理士登録するというのが主流のようである。ただし、この場合は税理士試験の合格証書を手にすることができない。

そもそも私は「遅れてきた」受験生であり、勤務していた会社の経営破綻によって、仕方なく会計事務所に雇われた者である。昼は仕事、夜と休日は受験勉強という日々を歩んできた。税理士試験の受験生であることは身過ぎ世過ぎの手段であったが、昨今の経済状況を見ていると、到底、そのような生半可な態度では暮らしてゆけなくなりそうである。信頼できる税理士として顧客に認めて頂かなくてはならない。その証明は、税理士試験の合格証書にあるものだと私は考えている。
そんな経済的事情もあり、税法科目の受験勉強に本腰を入れ始めた。社会人ともなれば、自分の受験勉強の環境整備も自分で行わなければならない。時間管理も充分にできないようでは、実務などできるはずもない。テレビや新聞に充てる時間をゼロにすることはできないが、受験勉強期間に於いては、なるべくそのような時間を削減するよう心がけている。それには情報処理の負荷の増大を防ぎ、脳を保護するという意義もある。テレビよりも睡眠に時間を充てる方が受験勉強にとっては効果的なのである。