蘚類

mosses

 裏庭のシダ植物が、ねこそぎ抜かれてしまっていた。
 日曜日の午後、私は、老母を連れて、伯母の見舞や食料品の買物に行く。飼育しているスズムシが大きくなってきたので、個体ごとの占有面積を確保するために、ホームセンターで経木を購入した。帰宅してからは、経木を切ったり、飼育ケースの中で組み立てたりの作業で、時間が過ぎてしまった。
 最近は日が永い。明るいうちに風呂に入った。風呂上りに自分の部屋に戻り、風を入れるために窓を開けると、いつものシダ類が見えない。
 私のイノモトソウやカニクサは、勉強部屋の窓から見えるような位置に生えている。自然に庭に来たものを、恣意的に残したのだ。蟄居の身には貴重な観葉植物なのだが、それらの姿がない。それらの生えていた辺りでは、大事にしていたコケ植物のマットもめくれ、土が顔を出している。
 私は、哀しみのような怒りのような、何とも形容しがたい感情に駆られて、身支度を整えた。長袖の服を着ないと、蚊に刺されてしまうのである。玄関に向かう途中で、老母に「シダが抜かれているよ」と話した。老母の表情が曇ったようにみえた。
 裏庭にまわり、剥がされたコケのマットを直した。シダ類は、ほぼ、壊滅状態である。コケ植物である蘚類は、征伐の対象にはならなかったようだ。地面に貼りついているから、難を免れたのであろう。勉強部屋からは見えない場所も調べた。やはり、蘚類は無事であったが、二年がかりで大きく成長したイヌワラビなどは、すべて抜かれていた。
 老父の仕業であることは自明である。老父には植物学の知識がない。コケ植物やシダ植物と、種子植物の相違など、話をしても理解できない。老父の頭の中にあるのは「植えたもの以外は雑草」「この土地は自分の所有物」という単純な思想だけである。対話をしても、通じる相手ではない。ひとの話を聞かない。聞いても覚えていない。忘れたふりをするか、本当に忘れてしまう。無知を「知ったかぶり」で誤魔化し、最後は「オレの家だ。テメエらは出て行け」で済ませてしまう。
 私と老母の外出している間に、黙って抜いてしまう。それが老父のやり方である。
 死んでしまったシダ類を、惜しむ気持は残るだろう。されど残された蘚類に、日光を当てることを考えたい。