スズムシ 其之五

suzumushi

 翅のある幼虫が増えてきたので、土曜日の午後を利用して、ネットゲージを組み立てた。その日の夜は、愛宕神社の花火大会であり、私は老母を警護するために同行した。東海道見付宿の東の端に、愛宕神社は位置する。
 愛宕神社の手筒花火も、回を重ねている。今之浦で花火大会をしている頃には目立たなかったが、それがなくなった現在では、見付東坂町近辺の住民の、貴重な楽しみになっている。手筒花火と縄仕掛け花火というシンプルな内容ではあるが、見付の町を見下ろす愛宕山に映えて、美しい風景を見せている。主催である東坂町天狗会の皆様には、深く御礼申し上げたい。
 おおかたの花火大会がそうであるように、それは午後九時に終了した。
 私は、エタノールで消毒したネットゲージに、成虫となる直前の幼虫を移す作業を、それから開始した。終了するのに目途の見えない作業ではあったが、深夜になろうが仕方がない。生命に関する現象を司る行為の優先順位は、つねに生活の上位にある。
 私がスズムシの都合に合わせているのであり、敢えて主従の関係を付けるとすれば、スズムシが主、私が従ということにもなろうか。動物を飼育している方であれば、ご理解いただけるものと思うが、動物のお世話をさせていただく者が「飼い主」ということになる。なにが「主」であるものか。彼ら(彼女ら)の棲みかを掃除し、食事を提供し、ご機嫌を窺うのが「飼い主」の仕事である。
 私が、ツイッターを休息している理由のひとつが、このスズムシの飼育にあることを、いま、ここで告白しなければならない。五月初旬の孵化以降、彼ら(彼女ら)には、多大の時間を費やしている。
 今年の孵化は推定で 10000 匹規模である。その、すべてを成虫として室内で飼育することは、空間的に不可能であるから、幼虫の時期から、誕生したスズムシの一部を、裏庭に放つ作業を続けている。彼ら(彼女ら)は、裏庭組ということになるが、私の保護がない替わりに、彼ら(彼女ら)は自由を手に入れる。我が家の裏庭には、蘚類以外、さしたる植物も生育していないが、近所の裏庭など、新しい成育場所へと通ずる方途もある。
 私が裏庭へ放つ幼虫たちは、脱皮に失敗して、脚の彎曲しているもの、欠けているもの、尾毛や触角の左右均等ではないものなど、容姿に難のあるものたちだ。しかし、最低限の条件をクリアして、更に「美」を基準とした、厳しい選抜の段階となると、選抜する側にも、時間と集中力が必要になってくる。指先に乗せた小さな幼虫の身体を、詳細に見つめることになる。
 美しいスズムシの基準として、触角が、体長の一倍以上であり、左右均等であることを、最低限度の条件としている。できれば、触角が体長の二倍以上である個体の遺伝子を、残してゆきたい。聴覚的な美しさもさることながら、視覚的な美しさもまた、美しいスズムシの要件であるように思うからだ。後世には、美しいものを残したい。
 そんなことを考えながら作業をしているうちに、今年、はじめての成虫と出会った。これからも成虫は数を増やしてゆくことだろう。成虫には、幼虫ほどの手間はかからない。どんな動物でも、大人というものは逞しい。