ツマグロヒョウモン

Indian Fritillary

Indian Fritillary

 ささやかな家庭菜園は、老母がいくつかのプランターを並べたもので、その一番外側には、ニラが植えられている。ムシを寄せつけないから、という理由らしいが、そのニラに「ムシのようなもの」が混じっていると、老母が言う。
 それはニラの葉に付着した小さな蛹で、色が濃く、頭部の方に金属的な突起が輝いている。「たぶん蝶の蛹だよ。羽化するまで待ってみよう」と老母に告げ、私はニラの葉ごと蛹を自室へ持ち帰った。
 プラスチック製のカップの、蓋の裏にセロテープでニラの葉をはりつけた。直径 150mm 深さ 80mm ほどの透明なカップである。蛹は、尾から出ている白い糸でニラの葉にぶらさがっている。羽化したらすぐ判るよう、玄関先に置くことにした。

 五月の第二日曜日、午前中に蝶は羽化した。昼食後、老母に「母の日の贈り物に蝶をあげるよ」と言って、プラスチック製のカップのまま手渡した。鮮やかなオレンジ色に老母は見覚えがあるといい、素直に喜んでくれた。ツマグロヒョウモン(褄黒豹紋)の雌である。いずれは戸外に放すことを、その場で約束したが、まだ羽化したばかりであり、しばらくは家に置くことにした。
 
 月曜日の早朝に起床した私は、早速、ツマグロヒョウモンの食事づくりを試みた。小さなゼリーの空容器をつかい、ぬるま湯で砂糖を飽和状態になるまで溶き、医療用の丸いコットンに滲みこませて、吸蜜できるような状態にする。プラスチック製のカップの蓋を開け、蝶の脚に私の指をさしのべて伝わせ、砂糖水へと導く。脚が容器にかかると、ツマグロヒョウモンは吸蜜管を伸ばして、砂糖水の滲みた丸いコットンを探っている。
 まだ飛ぶ気がないのか、私の指から移動しようとしない。机の上にも置いてみたが、飛び立つことはなかった。ただ羽だけをゆっくりと動かしている。

 それから数日は空模様が優れなかった。雨の朝、窓から射しこむ光を受けてツマグロヒョウモンが飛び立った。雨の音の聴こえる中、部屋の窓辺で、しばらくは好きなように飛ばせておいた。雨の中へ放すことはしない。
 私が面倒を見られない間は、砂糖水のコットンとともにプラスチック製のカップの中にいる。狭い空間の中で移動するためか、羽の下部の縁が少し欠けている。脆い羽である。広い空間へ飛ばせてやりたい気持は募るが、荒天に打ちのめされてしまったり、外敵に捕食されてしまうのも辛い。飼育には、その動物を過酷な状況から保護するという意味もある。

 週の後半には、なんとか快晴の天気になった。老母に蝶を放すことを告げ、庭に咲く背の高いシュンギクの花の上に、私の指からツマグロヒョウモンを移動させた。彼女は飛び立つことをせず、私の出かける時間になった。帰宅したとき、彼女の姿は、その場になかった。

 週末、老母から「ワタシの蝶がいたわよ」と告げられた。羽の下部の縁が欠けているから間違いないという。母の日の贈り物であるから、ツマグロヒョウモンは母の愛玩動物ということになる。
 ビオラの花が、まだ拙宅には残っていて、その近辺にツマグロヒョウモンが飛んでいるらしい。ツマグロヒョウモンの食草はスミレ類である。これまでもツマグロヒョウモンは拙宅で産卵し、孵化し、成長していたのであろう。以前、蝶を呼ぶために、自宅の庭に食草や吸蜜植物を植えている方の話を聞いたことがあるが、拙宅でも知らないうちに蝶を呼んでいたということになる。
 私も、その愛らしい姿を観察することができた。これからもまた蝶の訪れてくれる庭にしたいと考えている。

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チュウシャクシギ

Whimbrel

Whimbrel

 朝食時には、すでに明るい日差しが庭を照らしていた。
 珈琲をボトルに入れ、フィールドスコープと双眼鏡を持って家を出る。この季節には旅鳥であるシギやチドリが観察できる。干潟へと自動車を走らせた。

 強い海風の中をツバメが飛翔している。イソシギが近い場所にいた。セッカの鳴く声を聴きながら、干潟を俯瞰し、動くものの影を探す。双眼鏡で確認する。重い三脚を立てフィールドスコープを備え付ける。海風に倒れないよう、三脚は重いものが望ましい。
 ハマシギの群れがいるようだ。すでに夏羽で、腹部が黒い。その他にも小さなシギやチドリの姿が見える。キアシシギ、メダイチドリ、キョウジョシギ(京女鷸)、コチドリ。シギやチドリの類には保護色で小さいものが多く、観察することが困難ではあるが、その動きなどで種の同定が可能になる。ハマシギは群れで飛翔することに特徴がある。
 チュウシャクシギ(中杓鷸)は、比較的、大きいシギで、その姿は優美であり、シギやチドリの仲間としては判りやすい種であるように思う。鳴き声がしたので探していたら、数羽のチュウシャクシギが餌を啄ばんでいた。
 海風に吹かれながら、ボトルの珈琲を飲む。シギやチドリの他にも、ウミネコやカワウ、カルガモの姿が確認できた。中州には草木が生い茂っており、キジの鳴く声が聴こえる。ただ、その姿を探しても、丈の伸びた草の中に隠れていて観えない。コジュケイの声が遠くで聴こえる。近くではホオジロが囀っている。

 熊本と大分で大きな地震があり、由布市に住む私の友人も被害を受けた。地震の活発化した21世紀にあって、なお20世紀半ばに構想された原子力政策が、慣性の法則から逃れられないかのように静止されないでいる。この干潟もまた緊急時防護措置準備区域( Urgent Protective action Planning Zone )にあり、将来は、訪れることのできない土地になることも考えられる。
 目をつぶり、からだ全体で海風にあたりながら、ボトルの珈琲を飲み干す。帰路に着く。