コハクチョウ 其之四

Bewick’s Swan

 今年も遠州にコハクチョウ(小白鳥)の飛来する季節となった。
 温暖な地方とはいえ、夜明け前は冷え込むものである。それでも、防寒の服装を整え、まだ暗いうちに鶴ケ池へと向かう。池の周囲を歩けば、身体も温まる。シロハラ(白腹)やアオジ(青鵐)の声が聞こえる。冬の小鳥たちも飛来しているようだ。
 もう、何年もの間、同じ池に訪れてくる白鳥たちは、ひとに怯える気配もない。数人のカメラマンたちのいる、ほんの目の前で、マコモ(真菰)の根を引き抜いては食べている。首を泥水の中に入れるものだから、彼らの顔は次第に黒ずんでくる。それが自分たちでも不快なのか、ときには顔を洗っているようでもある。写真を撮影する人間たちの前で、きれいなポーズで静止している。
 水面をすべるような泳ぎは、やはり小型の鴨類とは異なるもので、水を後方に掻きだした黒い脚も美しい。白い羽はふうわりと大きく、撥水性に弾かれた水玉は、銀色の粒子になって、長い首や頬に光っている。ゆったりとした動きは優美で、観ている者のこころを、やわらかく静めてくれる。
 毎冬、白鳥が私たちの土地に飛来するようになったのは、最近のことであるが、あるいは奈良、平安の時代にも、彼らのような大型の鳥類が、遠州には飛来していたのではないか、と想像している。私の古典言語を再学習する動機には、そのような自然の豊かであった時代を空想する楽しみもあるようだ。人間や社会の変化は速く激しくても、私たちの眼前に拡がる遠州灘や、太田川水系の豊かな湖沼などは、昔ながらの地形や地質を、大きく変えるものではない。そのような古代からの自然の美しさが、和歌などの文学のなかに遺されているのではないか、と期待しているのである。
 むろん、古代から人間は、自分の身近にある自然を改変してきている。特に近代以降の国土開発は苛烈なものであったことだろう。ところが、いまや財政も貧窮の影を濃くし、不要不急の公共事業などは施工を止められているようだ。また、いつしか自然保護の意識も芽ばえ、ひとびとも自然とふれあう生活の価値を、あらためて見出しているように思える。
 この辺りは、浜岡原子力発電所の緊急時防護措置準備区域(Urgent Protective action planning Zone )である。いまだ地域防災計画は明らかにされておらず、住民は、自分なりに様々な未来を考えざるを得ない。人間が、この土地を去るときが来るのかも知れない。
 たとえ人間がいなくなるとしても、白鳥は、この池に飛来することだろう。土地の記憶は白鳥のなかで生き続ける。地球は鳥類の惑星である。