折込広告の白い裏面について

Hamabou Kouen

Hamabou Kouen

 私の家では、静岡新聞を定期購読している。現代社会を生きるうえに於いて、高校で学習した「政治経済」の知識を最新のものにアップデートしておくことは、セキュリティーとして必要なことだからだ。特に、静岡県内のニュースについては、静岡新聞が最も頼れるメディアではないか、と考えている。国際関係や日本のニュースなどは、共同通信社のものをそのまま掲載しているので心配ない。
 テレビを観る場合もあるが、例えば NHK 静岡のローカル・ニュースでは、イベントガイドのようなものも放送され、時間を損したように感じるときがある。必要のない情報を押し付けられても、ノイズが増えるだけである。
 もちろん、語学番組やドラマ、映画など、テレビならではの魅力もあることは否定しないが、政治経済の情報を得ようという目的を明確にしてニュースを視聴する者にとっては、レジャーの情報など不要である。全国のニュースでは、相撲や野球などの情報も毎晩放送されているが、それらは東京や大阪などのスポーツであり、私たちには関係ない。伝えていただかなくとも、一向に差し支えない。本当にスポーツ観戦を楽しみたい視聴者は、放送された試合などを録画している場合もあろうから、ニュースで早めに結果を知らされては、かえって迷惑なのではないか。
 気象情報までの時間をリモコンで「消音」にしながら思うことは、テレビの強圧的な性質である。確かに、新聞にもスポーツの欄はあるが、それを「読まない」ことはできる。余計な情報を得ることもなく、無駄な時間を使わないこともできる。だが、テレビの放送は一方的だ。見たくないものまで見せられてしまう不快感がある。
 新聞には、折込広告(ちらし)というフロクも付いてくる。折込広告の白い裏面は、私の創作活動の原点である。幼い頃の私は、そこに動物や植物の絵を描き、ひらがなやカタカナ、数字や漢字を書いて学習した。その意味では、折込広告の白い裏面は、現在の私の勉強や学問の原点でもある。最近、私は実務上の勉強に時間を割いているのだが、自分で選択した分野でありながらも、興味の湧かない部分もあり、思うように勉強の進まないときがある。そんなときは、原点に戻ることだ、と自覚している。
 私は、新聞の折込広告を読むことなど一切しない人間なのだが、老母は毎日、それらに目を通している。その老母に頼んで、裏面の白い折込広告を拾って貰うことにした。試しに、自分でも拾ってみたのだが、両面印刷のものが圧倒的に多い。裏面の白い折込広告も、ないわけではないのだが、その数は非常に少ない。それでも拾い集めれば、結構な分量になる。コート紙なので、ボールペンで書きものをしている。無償でいただいたものなので、躊躇なく思い付きを書いたり、それを破り捨てたりすることができる。
 裏面の白い折込広告は、パチンコ屋さんのものが殆どである。他の産業のものもないではないが、パチンコ屋さんの折込広告には、裏面の白いものが多いらしい。幼い頃、私が絵を描いたり、字を書いたりしていたものも、きっとパチンコ屋さんのものであったことだろう。私が今日あるのは、無償で白地の紙を提供してくだったパチンコ屋さんの御蔭である。大人になった現在でも、パチンコ屋さんの折込広告の白い裏面は、私の勉強を助けてくれている。
 パチンコ屋さん、ありがとうございます。

追記 このエントリの初稿は、パチンコ屋さんの折込広告の白い裏面に書かれたものである。