桶ヶ谷沼

okegayanuma

 午前中に勉強をすませ、午後は桶ヶ谷沼へ行くことにした。天気が好かったからだ。
 桶ヶ谷沼は、生きた鴨の図鑑である。この沼の遠景の中には、マガモ、コガモ、ヒドリガモ、オカヨシガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、カルガモ、キンクロハジロがいる。
 他にも、ヨシガモ、トモエガモ、ホシハジロ、オシドリなどが期待できる。近年は、コハクチョウの飛来がローカルなメディアのニュースになっている。そろそろ来ても良い頃だが、今年は姿が見えない。
 私は、スワロフスキーのフィールドスコープで、水鳥たちを眺めている。眺めるだけで満足しているたちで、自ずから写真を撮影しようという気は、さらさらない。しかし、カメラマンたちを目の敵にするのも大人気ないと思っている。野鳥を撮影するカメラマンは多い。
 今年の7月に、銀座でズームアイピースを買い換えた際、店長に写真を撮ることについて相談した。店長は、写真にも詳しい人で、いろいろと教えてもらったが、結局は、写真など撮らずに、ただ観察しているだけのほうが余程いいということで、意気投合してしまった。不思議なものである。
 もとより、私は写真には不案内で、焦点距離や露出といった言葉の意味すら理解していなかった。自分のカメラを所有したこともない。現在、自然観察に使用しているコンパクトデジタルカメラは、老母の所有品を借りているのである。老母は、このカメラを建築の仕事をしていた老父から貰い受けた。建築の仕事では写真が必要なのである。趣味として写真を楽しむほどの家柄ではない。
 ウェブの世界で、北海道の方たちと知り合いになった。彼らは写真が巧い。良いカメラも持っている。自分たちで撮影した写真をサイトにあげて、読者である私たちを楽しませてくれる。私も返礼をしなくてはならない。私が、老母のカメラを借り出すようになった理由には、そのこともある。
 老母には、それまでは自然観察に行ったとしても、ただ口頭で報告をするのみであった。だが、今回は、この遠景の他に何枚かの植物の写真を撮影してきた。その写真を見せると、老母が喜んだ。百聞は一見に如かず、と言うことか。老母は花が好きなのだ。秋や冬でも、見るべき植物はある。
 写真の撮影については、高校の物理から復習して、理論的なことは、なんとか解ったような気になっているが、実践が伴っておらず、なんとも不得手である。かといって、このような趣味に時間や金銭を費やしていられるような身分でもない。
 フィールドスコープ越しに、意外と簡単に写真撮影のできることを、銀座の店長に教えてもらったが、私が撮ると、ケラレどころか、葦の髄から覗いたような写真になってしまう。それでも、コハクチョウが来たら、一枚は撮影しようと思っている。
 老母が、コハクチョウを心待ちにしているからである。

エビイモ

Colocasia esculenta

taro

 エビイモの小芋を庭の片隅に埋めたのは、今年2月のことである。
 それは小さすぎて、使い物にならないと思えた。スーパーで、ビニール袋に幾つかの入ったものを買ってきた。産地直売で、新鮮な野菜が安く手に入るのであるが、それらの大きさは不揃いであった。大きなものには、包丁を入れる必要がある。小さなものは、皮を剥いて、そのまま煮る。
 根菜類は水から煮る。エビイモとは、サトイモの一種で、その形状が海老に似ていることから名づけられたそうである。煮物にして美味しい。

 老母が腹痛を訴えて、勉強中の私の部屋に来たのは、冬の、土曜日の夕方のことである。私は、老母を大きな総合病院の救急科へ、直接、自動車で連れて行った。そのときの若い男性のインターンによる診察では、結果が判然とせず、結局、帰路に着いた。
 翌日は日曜日である。老母は、午前中も芳しくなく、午後になって、さらに激しい痛みを訴えだした。前日に救急科の若いインターンに言い付けられていたので、先ずは休日の当番医のもとへ向かった。
 その医院は、初めて行く場所であった。インフルエンザが流行している時期で、患者が多く、待たされた。血液検査の結果、白血球数とCRP(C-reactive protein)の数値がひどく高いことが判明し、医師は紹介状を書いてくれた。再び、昨日の総合病院へ行くのである。
 連日で、総合病院の救急科に入る。こちらもインフルエンザで、だいぶ待たされた。紹介状もあり、昨日も受診しているのだが、順番は譲れぬものらしい。ようやく、若い女性のインターンの診察を受けた。あらためて血液検査をし、CTを撮った。
 消化器科の内科医が来て、エコー検査をした。外科医が二人来て、緊急手術の話になった。急性胆嚢炎ということらしい。痛みは炎症からのもので、その証拠となる数値が白血球数とCRPの数値である。
 執刀は午後9時である。手術の終了は午前0時であった。今年1月のことである。
 老母の手術は成功し、入院中の快復もよく、外科医も早期に立って歩くことを勧めた。老母は優良な患者で、医師の言うことに、よく従った。老父の膀胱癌の手術が2月に予定されていた。老母の退院と、老父の入院とは、ほんの僅かな間であった。老父の手術は2回目である。2月には、老母を自宅に寝かせ、老父を病院に見舞った。その間の家事の際、スーパーで購入したのが、エビイモである。
 その小芋のことは、しばらく忘れていた。夏になって、老母が庭の片隅にサトイモの葉が大きく育っていることに気付いた。私が、いたずらにエビイモの小芋を埋めた箇所である。
 秋になって、大きな葉も枯れ、残るは小さな一葉のみとなった。
 エビイモが必要になったときに掘り出すから、声をかけてくれ、と老母に伝えてある。