ミツカドコオロギ

Loxoblemmus doenitzi

Mitsukado Korogi


 東京へ行く日の、朝のことである。その日は、旅をすることの昂りもあってか、午前4時には、くっきりと目が覚めていた。
 玄関先で虫の鳴く声がする。
 旅の支度の殆どは、前日に整えてあった。後は、髭を剃り、身支度をする程度であったが、それでも忘れ物のないように、気を配らなければならない。
 そう自覚しつつも、玄関先で鳴いている虫の音が気になって仕方がない。短く切った、強い声で鳴いている。その鳴く声の大きさで、虫のいる近さが判る。まだ、出発までに充分な時間があることを確認して、とうとう虫捕りに出てしまった。
 まだ日出前の暗い時間帯である。私は、LEDのヘッドランプを頭部に装着して、静かに玄関を出た。ペットボトルを工作した捕虫器を片手に持つ。コオロギの類を捕獲するためのものである。両腕が自由になれば、虫も捕りやすくなる。
 声の様子から、ツズレサセコオロギを予想していた。夏の頃は、うるさく鳴いたものだ。個体を見てもいる。縁の下にいるのだ。
 鳴き声のする辺りを注意深く観察して、まずは2匹を捕獲した。ところが、2匹とも産卵管を持っている。翅に楽器がない。雌である。
 よくよく探して、とうとう鳴き声の源である雄を発見した。ミツカドコオロギ(三角蟋蟀)である。雄のミツカドコオロギは、頭部の形態に特徴があるので、声よりも姿で同定しやすい。ミツカドコオロギのいることは意外ではなかった。その幾日か前の曇りの日に、庭の掃除をしている最中、1匹の雄を捕らえて、ガラス瓶に入れてある。
 捕獲後に確認すると、雌もミツカドコオロギであった。これで、都合よく2ペアが成立したことになる。なんだか、腑に落ちるような、不思議に安心した気持になって、とりあえず、大きなプラスチック・ケースの中へ放した。
 すでに大型のネットゲージは畳み、スズムシたちは大型のプラスチック・ケースの中へ移してある。寒い季節になり、彼らも、大方の仲間を失ってしまった。大型のプラスチック・ケースの中で、スズムシとミツカドコオロギの二種を飼育することになった。それまで、そのケースの中で暮らしていたエンマコオロギの夫婦は、別の小さなプラスチック・ケースの中へ引っ越している。
 とにかく、その日は東京へ行かなければならなかった。あまり、面倒を見てもいられない。起床してきた老母に、留守を頼んだ後、既にまとめてあった荷物を持ち、バス停に向かった。
 帰宅したのは、翌日である。私は、すぐに4匹のミツカドコオロギを確認した。
 1匹も欠けてはいない。スズムシよりも元気に飛び跳ねている。

エンマコオロギ

Enma Korogi

Enma Korogi

 今年の夏に従姉から貰ったスズムシの、容れ物が空いている。
 大型のプラスチック・ケースであり、天蓋の格子の目が粗い。カンタンのような細い小さな虫では、すり抜けてしまいそうに思えた。いろいろと考えたが、エンマコオロギ(閻魔蟋蟀)も悪くない、と結論した。
 ある曇り空の日の午後、草原に虫を探した。最初に大きな雌のエンマコオロギを捕獲できたとき、これは好い、と思った。鳴くがゆえに、その居場所の判りやすい雄に比して、雌は捕獲しにくい。雄は捕獲しやすいが、雌は捕獲しにくい。ペアを揃えたところで、虫捕りは終えた。
 帰宅して、彼らの居住空間を整えた。プラスチック・ケースの床にミズゴケを敷いて、彼らが歩きやすいようにする。給餌皿と飲み水を置き、洗ったキャベツで隠れ家を作る。小さなガラス瓶で、赤玉土の産卵場も設ける。エンマコオロギほどのありふれた昆虫を、繁殖させようという魂胆ではない。雌のストレスを考えての配慮だ。雌がいると雄の鳴き方が違う。語尾を長く伸ばすような、優しい感じの、甘えた鳴き方をする。
 退院した老母は、老父の世話係に戻った。老父は、自己中心の、思いやりのない人で、晩酌をしては、くどくどとつまらないことを言う。他人を貶し、自分を褒める。学ぶこと、考えることをしない。思い込みと、決め付けで、知ったか振りに喋る。だから、話し相手としては、まるで面白くない。下手をすると腹が立つ。
 偶の相手なら我慢もできるが、毎晩の繰り返しとなると辟易する。私は晩酌をしないので、老母の入院している間、老父の酒のことは、放っておいた。すると、自分でカツオの刺身を買いに出て、燗をつけて日本酒を飲んでいる。二合は飲む。
 老父が、前立腺癌になり、尿管や膀胱に癌を繰り返すようになってから、私は老父の入退院の事務の代理のようなことを、長く務めている。医師の側でも、医療的な事柄の説明の相手として、私を選択した方が仕事が捗るのだ。老父の、片方の腎臓を切除する手術のときに、私は老父から煙草を取り上げた。同時に、私自身も煙草をやめた。私が身をもって示すことで、本人の自覚を促したかった。その日以来、老父は一本の煙草も喫してはいない。
 飲酒について、医師から禁制を受けることはなかった。老父から、日本酒を取り上げる必要のないことは、私も思った。だから、現在も、老父は晩酌をしている。
 その相手を、老母が務めている。老父は、老母を相手に管を巻いている。

カンタン

Kantan

Kantan

 今年もカンタン(邯鄲)を飼うことになった。
 今年の1月に、急性胆嚢炎で緊急手術をして、胆嚢を切除した老母は、その手術痕の癒着により小腸が狭くなって、今年の9月にまた、腸閉塞を起した。緊急入院して、イレウス管による施術により治癒に至ったが、それでも退院するまでに、一週間はかかった。
 過ぎてみれば、なんという程のこともないように思われるが、それも医師や看護師たちの尽力があってのことで、入院している間は、やはり不安なものである。本人も不安なら、家族も不安だ。私は、老父の朝食を作り、下着の洗濯をする必要があった。そうしながら、老母のいる病院を毎日見舞った。洗濯ものは病人からも出る。病人は退屈であるから、新聞を届ける。病人の調子が良くなれば、話の相手もする。味噌汁に入れるワカメがあるか、油揚げが何処にあるか、というような話もする。四方山話になる。
 秋は、虫の鳴く季節である。老母は、カンタンの音色を好んだ。長く鳴くのが好い、と言う。今年はカンタンを獲らないのか、と私に問うた。
「自然のものだ」と私は答えた。
 老母の入院してる最中、私は夜の草原にカンタンを獲りに行った。鳴いているところを頼りに捕獲するので、雄しか獲れない。それでも6匹ほどを手中に収めることができた。その翌日には、老母に成果を報告した。本人が、一日でも早く、退院する気になってくれるのを、願っての行為である。楽しみがあれば、早く退院しようという気にもなるだろう。患者自身に治ろうという気持がなければ、病気になど克てるものではない。
 カンタンは、集団で飼うと鳴かない昆虫である。手持ちのプラスチック・ケースや、スズムシを入れたネットゲージに分散させて、飼育を開始した。野生動物には、飼育するのに難しいものもある。餌を食べてくれないで、死ぬこともある。花をつけたヨモギを採取してきて、ガラス瓶に腐葉土を入れ、ネットゲージの中に活けた。カンタンはヨモギの花を食う。
 老母が退院してくる頃には、カンタンも環境に慣れたのか、繁く鳴いてくれるようになった。
 今年のカンタンも、長く鳴いている。