日本語を学ぶ 其之六 短歌について

nanohana

 ツイッターでは、ときに短歌を詠むこともある。俳句を詠み始めたときから、短歌というものを意識していた。
 短歌を詠みはじめた直接の契機は、伯母の入院である。いまから考えれば、自分に対する心理療法のようなものであった。時が経ち、事態はまったくかわらないが、私自身の精神は落ち着いている。それなりに効果はあったものと思う。
 短歌については、俳句と同じく、古文の参考書から入門した。俳句を学ぶさいに、文法について復習したのであるが、短歌を学ぶさいには、さらに修辞について復習することになった。私が折句や沓冠を多く詠むのは、そのような経緯からである。私は、遠州近辺の狭い土地しか知らないし、また旅行をするような余裕に恵まれているわけでもない。素材には限界があるので、技巧を追究しているわけである。
 現代の私たちと、上代、中古、中世の歌人たちとは、日本列島の自然環境を共有している。先人である彼らは、7世紀から13世紀までの、畿内を中心とした日本列島を見ている。彼らの見てきた自然環境は、基本的に現代の私たちの見ているものと同じものである。私の居住地である遠州は、万葉の時代から詠まれてきた土地であり、短歌を詠むには恵まれた自然環境ではないか、と楽観的に考えている。
 私は、和歌を根幹として、日本文学史をとらえている。例えば、万葉集のような和歌の世界から、伊勢物語のような歌物語が生まれ、竹取物語のような伝奇物語と融合して、源氏物語のような物語文学が完成する。土佐日記の紀貫之は古今集の撰者であり、枕草紙の清少納言にも歌人としての教養がある。方丈記の鴨長明には「無名抄」という歌論があり、徒然草の吉田兼好は当時の和歌四天王のひとりである。日本語を学ぶうえにおいて、日本文学史を概観することになるが、その際には和歌を中心として考えると理解しやすい。
 和歌の世界を歴史的に俯瞰するなら、やはり万葉集が後世への起点になると考えている。これは、いわゆる万葉調を尊重するということではなく、古今調に対して、単に万葉調が時間的に優先しているのではないか、ということである。古今と新古今の歌人たちが、万葉集を読むことはできたであろうが、万葉の歌人たちが、古今集や新古今集を読むことは、できないであろうという話である。万葉の歌人たちに、本家取りなどができるはずもなく、掛詞や縁語、比喩などの表現技法についても、後世にある古今や新古今の歌人たちのほうが、技巧を進展させているのが、当然のことであるように思う。
 日本が武家社会になり、戦国の世となる頃には、日本文学史は静かになる。近世の元禄期に松尾芭蕉らが登場して以降、日本文学は再び活況を呈してゆく。国学者たちによる万葉調の和歌の再評価があり、日本古典文学の学術研究が進展してゆく。そして、明治維新による開国を経て、西欧の文学を受容することとなり、近代、現代の文学史へと連なってゆく。
 短歌では、人間的な感情をそのまま詠いあげることができる。もちろん、それが読者と共有できるものであるなら、自分のみでなく、その読者をも慰めたり、励ましたりすることも、できるかも知れない。そんな、人間的な共感の可能性が、短歌の魅力であるように思われる。