ラグビー観戦記 2018.10.06 ヤマハスタジアム

Yamaha Stadium

 快晴のラグビー日和である。午前中に家事を片付け、正午過ぎにヤマハスタジアムへ向かった。歩いて気持ちの良い青空である。

 2018 – 2019 ジャパンラグビー トップリーグ 第5節。ヤマハ発動機ジュビロ vs 東芝ブレイブルーパス。17:00 キックオフ。レフリーはグレン・ジャクソンさん。

 前半。東芝ブレイブルーパスに先制を許したものの、ヤマハ発動機ジュビロは敵陣でゲームを進めることができている。フォワードが機能して同点、クワッガ・スミス選手が前進し、ゲリー・ラブスカフニ選手がトライして逆転、五郎丸歩選手のペナルティ・ゴールで加点し、前半終了時のスコアは、ヤマハ発動機ジュビロ 15-7 東芝ブレイブルーパス。

 後半。東芝ブレイブルーパスはバックスが良い。パスの連携が綺麗で見応えがあったが、ヤマハ発動機ジュビロもまた、相手をとらえて見事な守備を見せた。ヤマハ発動機ジュビロはキックでエリアをとり、フォワードがスクラムで押し込むという理想的な展開で加点する。更に敵陣でゲームを進め、矢富勇毅選手の前進から吉沢文洋選手がトライ。最終スコアは、ヤマハ発動機ジュビロ 27-7 東芝ブレイブルーパス。

 選手の負傷には心が痛むが、ラグビーのゲーム自体は、物理学や数学を考える教材ともなり、楽しいものだ。放物線と二次関数など、ラグビーに例えると解り易いものも多い。速度、時間、距離の関係。古典力学に於ける運動の法則など、ラグビーを教材とした教育の可能性は広いのではないか。

 ラグビーの面白さは相手をかわすことにある。相手の守備陣をくぐり抜けてステップを踏む様子は、スペクタクルとして鑑賞しやすく、爽快である。タックルで相手の進撃をとめることは、相手に自分の身体をぶつけることではない。バインドして相手の動きを封じ、ボールを奪取することが目的だ。危険なプレーは醜悪でしかない。美しいラグビーを観たい。

 エコパスタジアムや遠州灘海浜公園球技場まで出かける余裕はないが、徒歩圏内にあるヤマハスタジアムであれば短時間で帰って来られる。老母に心配や不安を感じさせることもなさそうだ。

広告

ラグビー観戦記 2018.09.15 ヤマハスタジアム

Yamaha Stadium

 人類とは、フットボールをする猿である。

 2018 – 2019 ジャパンラグビー トップリーグ 第3節。ヤマハ発動機ジュビロ vs ホンダヒート。17:00 キックオフ。レフリーは加藤真也さん。今季ホーム初戦である。

 小雨のパラつく天候で、夜には本格的な降雨の予想もあった。家に居るつもりでいたが、行かないと後悔するような気もして出かけた。老親の介護や、葬儀のことなどで、ラグビーを観戦する余裕がない。精神的にも楽しめる自信がないように感じていたが、相続登記の完了で一息ついたようにも思えた。チームや選手を応援することで、自分にも跳ね返ってくるものがあることを期待した。

 前半は、ヤマハ発動機ジュビロによる敵陣でのプレーが続いたが、最初に押し込んだ後は、均衡が続いた。ゲリー・ラブスカフニ選手とエイダン・トウア選手の鮮やかなステップが見所で、前半終了時のスコアはヤマハ発動機ジュビロ 12 -10 ホンダヒート。
 
 後半は、ヤマハ発動機ジュビロのラインアウトやスクラムが良く、清原祥選手やヴィリアミ・タヒトゥア選手らの捩じ込むようなトライで加点した。コンヴァージョンの決まらなかったことが残念だが、夜間の降雨による視界不良もあるのかも知れない。ホンダヒートはベイデン・カー選手のペナルティー・ゴールで加点したが、シンビンの枚数も多く、試合の主導権を握れない様子であった。最終スコアはヤマハ発動機ジュビロ 34 -16 ホンダヒート。

 産業化したスポーツを観戦することが、最近では辛くなってきている。その理由は、酷使された選手が怪我をすること、外科手術の施されること、その選手を早期に復帰させようとすることなどに、心の痛みを感じるからである。経済的な理由のために選手の身体が犠牲になるのを見ていられない。

 暗い夜の中を帰宅すると、老母が家の前で傘をさして待っていた。「暗くなったので」と老母は言ったが、私の不在による寂しさもあったのかと思う。そんな事情もあり、今後はスポーツ観戦から、しばらく遠ざかることになるかも知れない。

料理について

Clematis

 料理とは、味覚と嗅覚、触覚、視覚により感受される芸術である。

 料理に関する知識と技能を修得することは、新たなコミュニケーションの手段を獲得することにつながる。私は、調理に関しては一年生で、生物学、化学、物理学などの知識をもとに、自分なりに調理の理論を探っている最中である。
 テレビのグルメ・料理番組、ウェブ、書籍などが主な教材であるが、なるべく多くの教材に目を通して、基本的な構造を理解するようにしている。グルメ・料理番組で現役のシェフが技術の解説をしてくれるものなどは本当に勉強になる。
 むろん実践も大切で、技能を修得するためにも様々な料理に挑戦したいところであるが、老父には介護食を、老母には高齢に配慮した料理をつくらなくてはならず、自分の興味や関心をそのまま追究できないことがもどかしくもある。
 母の日にはポトフをつくった。老母は牛肉が好きだが、胆嚢炎を患って以来、油脂の多い料理は好まない。大根、人参、セロリ、キャベツ、玉葱、白葱とともに、牛の腿肉を柔らかく煮込んだ。野菜が煮崩れて、インスタ映えするような外観ではないことが残念だ。次回は視覚的にも美しいポトフをつくりたい。野菜の煮方を工夫してみよう。
 デイサービスやショートステイで老父の食事介助から解放される日には、老母の希望で寿司を食べに行くこともある。家庭では食材の調達や調理が困難なものについては、美味しいものの食べられる店を探しておくことも必要だ。東京には良い飲食店が多くて羨ましい。また、東京に行きたいと老母は言う。

 孵化したばかりの鈴虫の幼虫が茄子を食べている。彼らのために茄子を切ることは、彼らの味覚への贈り物であると空想している。数ヶ月後、彼らは私の聴覚に返礼をくれる。

対話と提案

oriental false hawksbeard

 家庭料理の幸せは、かならず「食べる人」のいてくれることにある。

「なにか食べたいものある?」と老母に訊く。そのときには、すでに自分の提案できる献立を胸中に秘めている。対話を試みて、相手に考えのないようであれば、自ら献立を提案する。
 自分の提案できる献立は、当然のことながら自分のつくれる料理の範疇にしかない。料理のレパートリーをひろげておくことは重要である。自前の献立を強要するのではなく、家族が好きな料理を選べるように、選択肢をできるだけ増やしておかなければならない。
 和食、中華、洋食。様々な食材や調味料に関する知識や調理技法の修得など、学習しなければならないことは多い。特に調理の段取りや手順については暗記しておく必要がある。調理中は両手が塞がっているし、火にかけたものからは目を離すことができない。複数の工程を同時に進行させたり、瞬時に判断して行動しなければならないことも多い。
「クッキング基本大百科」集英社 2001 という書籍が、老母の本棚にある。発売当時、母の日に私がプレゼントしたものであるが、現在は私の教科書となっている。テレビのグルメ・料理番組も録画して勉強させていただいている。

 老父は認知症を患っており、まともな会話はできない。
 それでも観察していれば、なにがしか理解できるようになる。現在は介護食で、ハンドブレンダーで御飯をなめらかに潰したり、味噌汁にとろみを加えたりして、介護用の特殊なスプーンで与えている。食事介助は老母の仕事である。
 認知症の高齢者を自宅で介護するためには、最低でもふたりの人間が同居して、そのうちひとりは若い世代であることが必要であるように思う。朝食の前に排泄介助や陰部清拭を行わなければならないこともある。老母が老父の濡らしたものを洗濯している間に、私が朝食をつくるのだが、その間も私は老父の身体を持ちあげたり支えたりして、老母の作業を手伝わなければならない。痩身であっても高齢者の身体というものは存外に重いものである。
 老父母の寝室から玄関までの動線に手摺を工事した。訪問看護の契約もした。自宅で介護する態勢は整えられたように思う。
 
 家族に美味しいものを食べさせたい。それが私の家庭料理への情熱となっている。

春愁 其之三

Common sowthistle

 今年の冬は寒く、老父は呼吸器を患って市立総合病院の御世話になり、私は連日、郊外にある病院へ自動車で通うことになった。病院までの移動は老母には負荷が重い。病院行きのバスに乗車するための停車場は拙宅から遠く、また運行の本数も乏しい。

 福島県の復興に関するテレビ番組を何本か視聴したが、いずれの地方の抱える問題も、その基本は変わらないように感じる。公共交通、食料品、医療・介護、教育。交通手段が確保されているか、物流が機能しているか、病院や介護施設はあるか、教育機関はあるかなど、生活に必要な最低限の要素を満たすことこそ、地方の復興する基本的な条件として再考されているように思う。

 地方に住む私たちは「欲望に駆られて」生きているわけではない。ただ、老父母が平穏に健康に過ごせるように、日々、格闘しているのである。
 現在の課題は、老父の食事介助と排泄介助及び陰部清拭、入浴介助などである。ここに浜岡原発の事故が起こっても、私たち家族は石川県や岐阜県まで避難することなどできない。老父を移動させる際には骨折のリスクがつきまとう。老母は辛うじて健常者であるが、健康には不安がある。
 温暖な静岡県で過ごしてきた老父母が、寒冷な地域で生き延びられるとも思えない。私自身も老父母に殉じて行動するしかない。原発からの避難など絵空事でしかないのである。

準備と即興

Narcissus


 Gourmet は食通、Gourmand は大食漢と翻訳される。Gourmet には憧れるが、地方では飲食店の数が大都市圏よりも少なく、集積することなく散在している。自動車社会なのでノンアルしか飲めないのも外食の興趣をそいでいる。

 老母が炊事を引退して以来、料理は私がつくることになった。教材はテレビのグルメ・料理番組である。広いキッチンと豊富な調理器具、潤沢な食材の溢れる料理番組よりも、狭い空間でアイディアを活かし、調理を工夫している食堂やレストランを紹介するグルメ番組のほうが、むしろ参考になることもある。
 家庭料理に於ける要件は、安全と衛生の確保、家族の健康への配慮、美味しさの追究の三点にあると私は考えている。
 食材や食器、調理器具、調理場などを清潔に保つことを前提として、家族への問診により健康に配慮した献立を考える。この際に必要なのは栄養学の素養である。さらに美味しい料理をつくるためには調理技能の修得が必要であり、教材からの知識とともに日々の訓練が欠かせない。空間と時間の制約、経済的な制約の中で、これらの三要件を満たし、向上させることが、家庭料理に対する私の基本姿勢である。

 天ぷらなら揚げたて、ソテーなら焼きたてを家族にふるまうことができるのは、家庭料理の魅力のひとつである。主菜となる揚げもの、焼きもの、炒めものなどの調理は即興であり、そこに至るまでには準備が欠かせない。鮮魚や精肉などは特に下処理が重要である。
 サラダやスープなどの副菜はメインディッシュよりも先に着手する。スープは先行してつくり配膳する直前に温め直す。ポテトサラダなどは前日の夜につくりおきする。それらも昼の食卓のための準備である。
 食料品の調達は原則として一週間に一度であるから、食材や調味料のストックについては恒常的に把握しておく必要がある。これは週の食卓のための準備である。また、食材には季節がある。私はまだ春夏秋冬の一巡りを経験していない初心者だ。食卓のマネジメント能力を修得して、四季の食卓のための準備を円滑にすることが、現在の私の課題である。

語学について 其之三

Lantana

 先日、ブラジル出身の方、複数名と話す機会があった。
 ブラジル出身の方は基本的にブラジル・ポルトガル語しか理解しない。日本語に堪能な方が私にうちあけてくださったことであるが、彼女らは基本的に英語を理解しない。これは、それまで海外出身の方たちと英語で話していた私自身には痛切な警告であった。世界には英語を解さない方たちも存在するのである。
 私は早速「ブラジル・ポルトガル語」に関する書物を近隣の書店で購入した。ブラジル・ポルトガル語に関しては、わが自治体にその住民の多いこともあって、いつかは勉強しなくてはならないという責任を感じていたのであるが、まさかその場でスイッチが入るとは思っていなかった。
 今まではETVにブラジル・ポルトガル語の講座のないことを勉強しない言い訳にしていたのであるが、もう、その言い訳も通用しない。いま、隣りにいるブラジル出身の方に話しかけられなくてどうするか。喫緊の課題である。

 ETV「旅する◯◯◯◯語」のシリーズは2017年10月から新しいものになった。私は「旅するスペイン語」を選択して視聴している。ポルトガル語とスペイン語は非常に近い言語である。
 実は、スペイン語は、私が大学一年生のときに、そのときはアメリカ合衆国のヒスパニックについて研究したく選択を希望して、大学側から許可されなかった科目である。
 それで私はフランス語のクラスにまわされた訳であるが、そこから原書購読、卒業論文へとフランス語の世界を通じて私は大学を卒業することができた。やはり当時の私には、スペイン語圏よりフランス語圏に読むべき文献があった。その判断は(私自身ではなく)指導教官に託されていたのであるが、その方が正しい判断をして下さった。私は指導教官に恵まれていたと思う。

 ブラジル・ポルトガル語と日本語しか理解しえない住民は、いま現在、私たちの近隣に住んでいる。彼らのうちのひとりから「スペイン語を話せないか」というご質問もいただいた。
 ポルトガル語とスペイン語について学習したいと考えている。