文章について

Okegayanuma

Okegayanuma

 私が毎月、このブログで拙い文章を書いているのは、現代文の勉強を考えてのことである。センター試験の現代文では、評論と小説が、それぞれ50点の配点で出題されるが、それにあわせるかたちで、論理的な文章を「随筆」として、文学的な文章を「小説」として書くことを試みている。文章を書くことは、その模範となるような優れた文章を読む動機にもなる。
 社会人になると雑多な文章の読み書きに追われて、本格的な評論や小説を読む機会は少なくなる。日常的な文書は、そのやりとりをする双方の間で共有されている、なんらかの予備知識を前提として書かれることが多く、それは時間短縮のためであるとは思うが、あまり論理的でなかったり、表現として適切でなかったりしても、通用してしまうようなところがある。
 人間関係の円滑さを尊重して、日本語としてのおかしさを指摘しない、指摘されないような場合もある。例えば余程親しい間柄でもない限り、その方の書かれた文章に対して「ヘンな日本語ですね」とは言わない。「ヘンな日本語を指摘していただいてありがたい」と感謝されることもないとは言い切れないが、ひとの感情を害するリスクを敢えておかすこともない。自尊心が国語辞典を超越しているようなひとは世間に珍しくない。
 むろん言葉は道具であり、社会は共存することに意義があるのだから、無意味な衝突を避けるという意味で、日本語という道具にこだわることは、あまり良いこととは言えないのかも知れない。だが、一方で日本語には、センター試験として厳しく評価されるという一面もある。センター試験で要求されるものは、高等教育を高次の義務教育と考えた場合に期待されるものを示しているように思う。数学や理科などの各教科では専門的な語彙を修得するが、現代文では一般的な語彙を修得する。国語辞典を典拠として、適切な語彙と正格な文法を遵守しなければ得点することはできず、延いては大学に進学することもできず、社会に参加すること自体が難しくなる。
 既に大学を卒業してしまっているから良いというものではない。先輩は後輩に模範を示さなくてはならない。少なくとも高校で現代文について学び、大学に進んだような人間であるなら、現代日本語について反省する時間を持つこともできるのではないか。
 教育は未来を創る。教師による学校教育は社会の根幹であるが、社会人が言葉という道具をキレイに使うことは、その模範を示すという意味で実践的な社会教育でもあるように思う。言葉をキレイに使うためには、自分だけではない、相手への配慮も欠かせない。言葉を学ぶことには倫理的な意義もあるように最近は感じている。

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「いろは歌」試論

Asian Swallowtail

Asian Swallowtail

「いろは歌」は和歌である。和歌とは通常、万葉集にみられる長歌や短歌などを指すが、ここでは神楽歌や催馬楽などの古代歌謡も視野に入れて考えることにする。
 古代歌謡の形式のひとつに「今様」というものがあり、佐佐木信綱校訂「梁塵秘抄」岩波文庫1933 などにより、現代の読者も目にすることができる。古今和歌集「おなじもじなき歌」のような趣向を、今様の形式で行なうものが「いろは歌」であると私は考えている。

「いろは歌」は言語遊戯かと問われれば、それはあらゆる文学が言語遊戯であるという意味で、言語遊戯であると答えざるを得ないであろう。あえて言うなら、パズル性を持つ文学ということになるだろうか。日本語によるパズルでありながら、作品としての文学性・芸術性を高めることを、ひとつの目標としている。この点で「いろは歌」は、パズラーなどのミステリーに近いもののように私には思える。
 例えば「アナグラム」という五文字の言葉からは(文意を問わないのであれば)5の階乗である 120通りのアナグラム( anagram )を作成することができる。これら 120個のテキストの中から、意味の通るもの、美しいものを探し出すことが、魅力的なアナグラムを制作する際の課題となる。
 言語遊戯の世界では「意味の通らないもの」を面白がることもあるようだ。しかし文法が破格のものなどは読みづらい。多くの読者には「意味の通らないもの」の面白さは理解しづらいのではないかと思う。

「アルファベットのすべての文字」に対して行なうアナグラムがパングラム( pangram )である。この場合「アルファベットのすべての文字」数の階乗の数だけテキストが存在する[*]ので、そこから意味の通るもの、美しいものを探し出すことができれば、魅力的なパングラムを作成することが可能になる。
 パングラムでは、その前提となる「アルファベットのすべての文字」を、いかに定義するかが重要になる。「いろは歌」は日本語によるパングラムと考えることもできるが、日本語の仮名の文字数が今様の音数にほぼ等しいということには大きな意義がある。

「いろはにほへと ちりぬるを」の「いろは歌」は、平安時代の日本語によるものであり、四十七文字を「すべての文字」として定義している。今様は七五七五七五七五の計四十八音であるから、字足らずの句をひとつ作ることにより、四十七文字で「いろは歌」を制作することができる。
 このとき、中世以降(たぶん漢語を読むために)よく使われるようになった、撥音を表記する文字「ん」は、まだ認識されていない。江戸時代に国学者などの制作した「いろは歌」も、古典言語としての日本語をふまえており、四十七文字で制作されている。
 なお、江戸時代には町人たちにも文芸が盛んになり、多くの文献が残されているが、仮名遣いについては規範がないようである。明治時代、契沖仮名遣いが歴史的仮名遣いとして規範化されるようになると、庶民たちも歴史的仮名遣いを学び、使いこなすようになる。
 黒岩涙香の「萬朝報」で募集された新しいいろは歌では、撥音を表記する文字「ん」が含まれて「アルファベットのすべての文字」が四十八文字と再定義されることにより、今様の形式を整えることが容易になった。この定義は昭和時代の週刊誌などでも継承されることとなる。
「短歌研究」2013年11月号の千葉聡氏による「口語いろは歌」では、現代仮名遣いにはない(したがって現代語の語彙も少ない)「ゐ・ゑ」の二文字を除き、代わりに促音の小書き文字「っ」と長音符(約物)「ー」が追加されている。これらは1モーラを形成するため、今様の形式を保つことができる。ただ、この場合でも拗音(「きゃ」など)を表記する際には1モーラに二文字が必要となるため「拗音はなるべく使わない。やむを得ず使う場合には、そのぶん長音を設け合計四十八音になるようにする」(同誌 P55)と規定されている。

「いろは歌」を定型詩や韻文に限定せず、自由詩や散文でも良いとするのであるなら、現代仮名遣いの四十六文字を定義するだけでも良いことになる。現代仮名遣いの登場以降、そのような試みはなされているはずであるが、その場合は今様の形式を離れることとなるので「いろは歌」の呼称が適切であるかが問題となる。

[*]
英語  26!= 403291461126605635584000000(20桁)
日本語 46!= 5502622159812088949850305428800254892961651752960000000000(58桁)
日本語 47!= 258623241511168180642964355153611979969197632389120000000000(60桁)
日本語 48!= 12413915592536072670862289047373375038521486354677760000000000(62桁)

ちなみに、現代日本語による俳句と短歌においては以下の数のテキストが存在する。
俳句 107^17= 31588152109649857868144549324788907(35桁)
短歌 107^31= 814511289564837125111349801264249382037844335107777833858664643(63桁)
仮名46音(46文字) + 濁音20音 + 半濁音05音 + 拗音36音 = 107音とした場合の重複順列を計算した。
なお、拗音は現代仮名遣いで標準的な開拗音((きぎしじちぢにひびぴみり)×(ゃゅょ))を定義した。

古典言語について

Carpenter bee

Carpenter bee

 古代、和歌は「やまとことば(和語)」で詠むものであった。中世、それに、より深遠なる古典の世界を持つ「漢語」の加わることによって、和漢混交の文学としての俳諧が成立した。その俳諧の最も自由で象徴的かつ印象的な部分である「発句」が「俳句」として近代以降に鍛えあげられる。近代以降の日本文学は、ヨーロッパ世界の衝撃を受けて「小説」を中心に展開してゆくこととなるのだが、和歌と俳諧(俳句、連句)の世界は現代にも廃れることなく存在している。
 俳諧には、先行する古典を簡易にまとめあげた歳時記という便利な書籍があり、日本語の単語の語義に「季語」という解釈の独特なルートをつけくわえることによって言語の多義性の一部を獲得し、また、俳諧の世界が共通的事項を共有する独自の共同体として存在することを社会に認容せしめることに成功した。このことは近世の官学が儒学であり、武士階級をはじめ多くの人々が漢詩や漢文を学ばざるを得ない時代状況であったことと不可分ではあり得ない。和書と漢籍による古典に支えられているがために、俳諧は多くの言葉の財産を持つことになる。

 長歌と、その反歌としての短歌は、柿本人麻呂により完成された。柿本人麻呂の長歌には、先行する漢詩の対句表現などの影響が見られる。つまり、和歌の前には漢詩があった。古代中国の漢詩が日本の古典ともされていることには意味がある。中国語と日本語とは、言語を異にする存在ではあるが、文字を共有する存在でもある。文学は文字による営為であるから、漢字で書かれた詩を読むことができれば、翻訳者は、それを日本語の話し言葉で表現することができる。しかし、それを書き言葉で表現するためには「文字」が必要である。
 万葉集の時代には「日本語を書き表す文字」がなかったので、中国大陸や朝鮮半島から漢字を借用した。それが借字と呼ばれるもので、古事記なども借字で書かれている。万葉集のものは特に「万葉仮名」と呼ばれ、文学的な表現のための借字として、慎重に研究されている。文学者は、視覚的効果や聴覚的効果を考えて、繊細な表現を好むであろうから、そこには古代日本語の話し言葉が緻密に表現されていると考えられるからである。
 平安時代に日本語特有の文字「仮名」が開発されてからも、漢詩や漢文は日本文学に影響を与えるものとして存在しつづけた。特に中世には、中国からの新仏教の伝来などもあり、本格的な和漢混交文の成立を見るに至った。この文体は現代文にも共通するものであり、日本の高校生は国語(日本語)の勉強として漢字(中国語)を覚えることになる。

 言語と文字とは、本来、別のものであり、文字に記された言語のみが特権的に広く、長く後世に伝えられる。口語・話し言葉として存在していた「日本語」は、中国大陸や朝鮮半島から「漢字」という有力な文字をいただくことにより、平安時代に「仮名」という創造的な文字を持ち得ることができた。紀貫之ら優れた文学者による和歌や日記などの文学の洗練により、日本語は文語・書き言葉としても存在することとなり、後世の人々により、古典言語として尊重される地位に至った。
 その古典言語に拠って「擬古文」を書くことは、中世・近世の碩学たちが学問のために行なっていたことである。現代人である私たちが、高校レベルの古文を学ぶことにより、平安時代の古典文学や、吉田兼好や本居宣長の擬古文を読むことができるのは、古典言語としての日本語の文語文法を共通的事項として共有するからである。さらに私たちには「文語」で作文することにより、古典言語としての日本語に関する理解を深めることもできるのであるが、現代の社会生活に即して考えれば、それは実用性のない、趣味的なものであると言えなくもない。

 実務的には、話し言葉と読み書きする文章の一致していた方が便利である。近世以降、町人たちの世俗的な世界が栄えると、文学もまた世俗的な世界の言葉を主として書かれるようになる。本格的な本草学の発展などもあり、実証主義的なリアリズムの意識も生まれてくる。日本の小説も、夏目漱石らによって近代の新しい文体を獲得してゆく。それらは、同時代の江戸・東京の「口語」をもとにしたものではあったが、政治、法律、言論、ジャーナリズムなど近代の文章とともに、標準語というかたちで模範的な文体として社会の中に浸透してゆく。これが、現在、高校生が大学入試のために学ばなくてはならない「現代文」の起源である。
 現代人は、まず現代文を学び、それから古文を学ぶことになるが、現代文の源流にあるものは古文漢文であり、古典言語としての日本語である。現代仮名遣いは歴史的仮名遣いを簡易に改変したものであり、両者は対立するものではない。古典言語としての日本語を学ぶことは、現代日本語の理解を深めるための方法のひとつであるとも言えるであろう。中世以降の和漢混交文に、近代以降ヨーロッパ世界から輸入された諸言語の、さらに混交したものが現代の日本語であると私は考えている。

サークルによる文学活動について

Yabukiri

Yabukiri

 文学活動をサークルとして行なう場合、自分たちの仲間を多く集めたいという理由で、敷居を下げてしまうことがある。
 和歌や俳諧など、古典的な定型詩の世界には約束事のようなものが多くあるが、それについては大目に見ようということになる。文学様式のレベルのみでなく、語学のレベルに於いても基準を甘くするようになり、究極的には文語文法や歴史的仮名遣いの正格でないものまで許容するようになる。
 サークル外の人間から見ると、それは奇妙な光景に映る。高校の古文の授業で学んできた文語文法や歴史的仮名遣いの知識はサークル外の人間も持つものであるから、そのサークルで行なわれている文学活動が、おかしなものであるように感じる。
 決してサークル内には入って来ないであろうサークル外の人間に対しては、サークル内の人間の態度は厳しい。「学校で教えることがすべてではない」と言い放ち、自己を正当化するようになる。古文で学んだ文法と現代文で学んだ文法とが混在する独創的な文体ができあがる。
 文学活動よりもサークルの維持・拡大が主眼となり、話し相手が欲しいだけの社交を目的とした集団になると、作品の品質も作家の倫理もおかしくなってゆく。文学が自己表現の手段であることを逆手にとり、読者不在の詩文を書きまくる。仲間内の狭い空間で盛り上がり、サークル外の人間からの言葉には耳を貸さなくなる。仲間を擁護するあまりサークル外の人間に敵対することさえある。
 そのような閉鎖的な空間は居心地の良いものであろうが、すでに外部との交流は自ら絶ち切ったも同然なので、組織の維持・拡大のためには、新しい世代を自分たちの仲間に引き摺りこまざるを得ない。そのようなサークルがウブな初心者を勧誘することになる。初心者は、優しく声をかけてくれた先輩のいるサークルに入会してしまうかも知れない。そして、閉塞したサークルの空間の中で、サークル内でしか通用しないような詩文を書き、サークル内の仲間の書いた詩文を読んで、時間を過ごすことになる。

 文学が好きでも、文学活動を行なうサークルには入会しない者もいる。生活のための仕事に時間を割かなければならず、学業を優先するために学術的な専門書などに金銭を費やす者たちである。そのような者は独学で文学を探究する。第二外国語を学習することによる語学的な世界の拡がりもあり、日本の古典文学のみならず、世界文学や哲学・思想の分野にまで興味を抱き、その知的世界の拡がるままに、自由に読書を重ねることになる。
 時間的・経済的な制約の強い者には余裕がない。仕事や家事に勤しむようになると、なかなか自分の自由になる時間はとれないものである。文学書を後回しにして実務的な書籍を読み、資格試験に備えて受験勉強したりもする。それでも文学が好きな者は、文学や哲学の書籍を読み、自分なりに文章を書き始める。

 21世紀の現代、ウェブの時代になり、地理的・時間的な制約がいくらかは緩和されたとは言え、やはり文学の中心はメディアの多い東京にあり、首都圏や関西圏などでサークルを形成する方たちが、文学の世界でも優位であるように思える。
 彼らも社会人としての経験は積んでいるはずなので、あまり内向きではいられないはずなのだが、ときにサークル活動のような側面の垣間見えることがある。仲間内で盛り上がり、作品よりも人間関係を慮り、サークル外の人間からの言葉には耳を貸さない。当然、読者の増えることもなく、仲間内で作品を流通させ、まだなにも知らない初心者を勧誘して、自分たちの組織の維持・拡大に努めようとする。彼らは、仲間内での飲食や旅行に忙しい、社交を目的とした集団を形成しているようにも見える。
 そんな彼らを「人間関係派」と名づけたい。中村草田男・加藤楸邨・石田波郷ら「人間探究派」は素晴らしい遺産を俳句の世界に残してくれたが「人間関係派」は短歌や俳句の世界に、どのような足跡を残してくれるのであろうか。

歴史について

Hyootan Ike

Hyootan Ike

 小説、映画、テレビドラマのいずれに於いても、私は「歴史」に関するものには興味が湧かない。NHKの大河ドラマに意外と人気のあることをツイッターで知ったが、私には、それを観ることができない。ただ、そのエッセンスをツイートで伝えていただけることのみを享受している。
 私にはミステリーの好きな友人がいて、ジョセフィン・テイ「時の娘」や、岡本綺堂「半七捕物帳」、久生十蘭「顎十郎捕物帳」、多岐川恭「異郷の帆」、都筑道夫「なめくじ長屋捕物さわぎ(の一部)」などは楽しく読ませていただいた。だが、ミステリー・サスペンスの要素を欠いた歴史・時代小説を読む自信はない。映画では黒澤明監督「用心棒」「椿三十郎」に感心したが、テレビドラマの時代劇は観ることができない。
 むろん、高校では世界史と日本史を履修し、それなりの成績を収めてはきたが、それは世界史と日本史の教師が優秀であったからであって、決して私の手柄であるとは言えない。大学受験に於いても世界史や日本史は必修科目に近いと思うが、マインドスポーツとして、記憶力ゲーム(メモリースポーツ)をしているに過ぎない印象もある。「歴史上の人物名」などは、テレビのクイズ番組では格好のテーマであろうが、現代社会に於いて実務的に必要であるとは思えない。
 京都府や奈良県などにお住まいの高校生には、他の都道府県に住む高校生よりもアドバンテージがあるように思えてならない。私の修学旅行は中学も高校も「京都・奈良」であったが、それには教育的な配慮があったであろうことは、容易に推察できる。高校古文や日本史に於いて得点するには「京都・奈良」を空想せざるを得ないからだ。中等教育に、このような地理的な不公平のあることは、案外、無視されているのではないか。
 しかし「歴史」は、人文・社会科学に於いて、基礎科学的な役割を果たしているような気がしないでもない。私が日本語日本文学を学び始めたのは、ツイッターに参加して以降のことであるが、その際には高校日本史や高校倫理(日本の思想)の知識が大きな支えになった。
 そもそも歴史とは「記述されたもの」であり、言語や文字、文学などを考える際には、地理と歴史の基礎知識があると、いろいろと理解しやすい。高校生が進学した大学で学ぶことになる人文・社会科学(法学、経済学など)に於いては、近現代史の教養が不可欠であることは言うまでもない。いや、自然科学に於いても学説史を学んでおくことは、大きな支えになるであろう。数学史や科学史を知ることが、数学や自然科学そのものを理解することにつながるように思う。
 時系列という絶対的な基準には、高校物理でいう「不可逆性」のような非情さがあって、余計なことを悩むことなく切り捨てられる爽快さがある。歴史の勉強には年号(西暦)があるから、秩序立てて整理することが可能になるし、事象の因果関係も把握することができる。年号による整理がなければ、歴史の勉強は混沌としたものになることであろう。
 たかだか四桁の数字を覚えることによって、世界を解明する糸口が見つかるのだよ、高校生諸君。

評論について

Jungle Crow

Jungle Crow

 

「(個人名)ちゃん、ダメダメ!眼を合わしちゃダメだよ」
tweeted on 1 Feb 2014

 ある「歌人」が俳句について「評論」を書いた。ところが、その文章には多くの作品や作家名の引用ミスがあった。短歌や俳句の作品は、ひとつの文字の選択にも神経を使う繊細な文芸作品である。それに気付いた「俳人」たちがツイートを発信し始めた。上記に掲げたツイートは、それらがツイートされている状況を見て「歌人」の味方らしきアカウントから発信されたツイートである。私は、このツイートの「眼を合わしちゃダメ」という言葉に強い印象を受けた。相手の人権を無視した言葉のように思えたからである。
 後日、ある方が「非論理的な感情論の援軍がどこからかくっついてきて」とツイートされていたが、その指摘は正鵠を射ている。アンフェアな文章になることを避けるために告白しておくと、私も以前「俳人」から集団でエアリプの誹謗中傷を受けた経験( @hitsujisaka さんと『彼方からの手紙』 )があり、当時、ある方に助けていただいた事情がある。その時の恩義は現在も忘れがたい。
 早速、私も件の文章を拝読してみた。結論から申しあげると、これは先ず「評論文」として読めるものであるかどうか、というところが論点になると思った。私は評論を書かないが、評論を読むのは好きで、短歌や俳句についても良い評論集を御紹介していただきたい者である。件の文章は「歌人」の方が御自身の勉強成果をまとめられたノートという印象で、少しでも俳句を勉強したことのある方なら既知のことが多く述べられている。時評を標榜しているが、平成10年の文献からの引用などもあり、平成26年の現在においては、まだまだ取材や整理のできる内容ではないかとも感じた。
 この文章には「新しい若い層の獲得」や「若年層の取り込み」「初心者一般の取り込み」という強い言葉があり、文章のベクトルとしては企画や戦略の文書に近いように思えた。企業内部(結社、版元など)では許される文言であろうが、顧客(読者、学生など)も目にする文章としては如何なものであろうか。結社や版元が勢力の拡大に努めるのは当然とも思えるが、読者や学生の中には疎ましく感じる方もいらっしゃると思う。宣伝や勧誘の文章だとしても、それを評論文と呼ぶことは難しい。
「歌人」は「評論には評論を」とエアリプして執筆者としての姿勢を保持していたようであるが、そもそもツイッターで自分の長文を宣伝した以上、ツイートにはツイートで応ずるべきであろう。無論、メンションのないツイートには応えようがないが。さらに「歌人」はツイートで「10日で書いた」「頼まれた」と「私は素人」アピールを繰り返しており、これは最悪の対応であったと思う。素人の書いた「評論」に対して、評論で応えようという玄人はいない。
 読み書きでなされるツイートの応酬には、識字はもちろんのこと、読解や表現など高度の言語能力が必要であると私は考えているが、それでも上手くこなしている方は大勢いらっしゃる。その「歌人」はアカウントに鍵をかける始末となったし、これ以上、この問題について言及することは適切ではないと考えるので筆を置くが、この私の文章について御意見等ございましたら、ツイッターの方で御願いいたします。でも、必ず、メンションは付けてくださいね。

 
トラックバックについて
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古典について

Chuo Kouen

 私が、ツイッターで短歌や俳句を始めた理由のひとつに、高校時代に学習した古典について、あらためて学習したい、ということがあった。
 大学受験のために、やむを得ず勉強せざるを得なかった「国語」だが、現代文はともかく、古文や漢文の学習が、現代社会で生きるために、なんの必要があるのか、という疑問を、以前から抱いていた。地方に在住する下層階級の子弟を入学試験で選抜するために、要らない負荷を課しているのではないか、とさえ思っていた。和漢の教養の世界は、都市圏に在住する富裕層の子弟たちの、経済的、文化的な優位の発現する場所であるように感じていたし、その疑念は、現在でも解消されてはいない。なぜ、古文や漢文が大学受験の必修科目でなければならないのか、ということである。
 それでも、その場をのりきるために、古典文法などは必死に暗記してきた。現在では、その後遺症に苦しんでいる。古典に類したものを目にすると、暗記した知識が反射的に甦り、頭の中を巡り始めるのである。その曖昧な記憶は、私を悩ませる。参考書や辞典で、古典に関する事項を再学習し、納得するまで苦しみは消えない。以前は、古典から遠ざかり、逃げることによって、忘れることもできるように考えていたのだが、現在では、古典を再学習して乗り越えることを考えている。
 古代中国の漢詩。日本の和歌、連歌、俳諧、そして俳句。先人の積み重ねてきた業績のうえに、更に新しいものを積み重ねてゆく、ということが、基本的な学問の考え方としてある。文学を学ぶ者は、ある時期、古典を学ばざるを得ないのではないか。新古今和歌集の「本家取り」の技法などは、和歌の世界における究極の技法であると思うが、それは藤原定家の古典研究の成果であった。藤原定家の父、藤原俊成は「古来風躰抄」で万葉集以来の秀歌を挙げている。中世には歌論が盛んである。いわゆる王朝文学の終焉の時期であるが、日本文学史を俯瞰すると、このあたりが気になってくる。
 松尾芭蕉にも古典を学んだ時期がある。しかし、芭蕉の時代と現代とでは、古典の範囲も異なる。元禄期には和漢の古典だけであったものが、近代以降は、西洋の古典までもが視野に入ってくる。坪内逍遥はイギリスから、二葉亭四迷はロシアから、その文学の資源を得ている。近代以降の日本文学を解読するためには、英米文学やフランス文学、ロシア文学などについての理解も不可欠であろう。特に、短歌や俳句など、文字数の限られた文学形式では「引喩法」は有効な技法となる。現代の短歌や俳句には、西洋の古典をも取り入れている幅広さがある。
 現代における「季語」は、基本的には「和漢の古典」の簡易な引喩法として準備されたものかも知れない。季語の由来は、あくまでも文学が自然詠のために応じた言語にあり、その対象である自然物とは、本質的には反対の極に位置している。言語と、その対象である自然物との関係は、あくまで恣意的なものに過ぎず、季語の規則というのは、偉大な先人たちとはいえ、たかだか人間が決めた規則にすぎない。
 近代以降、俳句の世界の季語は、東京を基準として政治的に決定されてきたように思う。これは東京に在住する俳人にとって優位に作用する。季節ごとの自然観察を、そのまま客観写生して「季が違う」などと言われることもない。首都圏は人口が多く、富裕層も多いから、東京を基準として季語を決定する方が、経済的な利益も最大化できるであろう。私は、そのような中央集権主義を、近代における事実として見つめるだけである。しかし、近代の東京によって決定された季語を遵守することは、地方在住の者には、根源的に困難なことではなかろうか。
 地方在住者が俳句を詠むためには、自然観察者でありながら、古典学習者でもあるべきではないか。現行の、東京中心の季語を無批判に受容しているだけでは、自分たちの地方での客観写生との間に齟齬をきたす。古代中国や、奈良、平安時代の日本において成立した言語や文字、文学について、現代の視点から学びなおすことで、その地方の気候や、生態系、民俗などを、より精確に表現する可能性が生まれるのではないか。文学に於いて美を実現するためには、その対象物の観察だけではなく、言語や文字に対する再検討もまた不可欠な要素であろうと考えている。
 その実践は、論ずるように容易なことではないだろう。しかし、試みる価値はあるように思う。なによりも眼前にある遠州の自然を詠むために、私は自分の発すべき言葉について考えざるを得ないのである。