スズムシ 其之四

suzumushi female

 スズムシが鳴いている。彼らの煌く声が、早朝の室内に響いている。
 秋の彼岸を過ぎ、そろそろ亡骸になるものも出て来はじめた季節である。もちろん、最後の一匹まで、お世話するつもりでいる。それが飼われているものの権利であり、飼う者の義務であるというものであろう。キャベツ、茄子、ゼリー、フレークと、与えられるだけの多様な食糧を用意し、冷気にさらさないように室内で飼育している。その室内は、午前中には太陽光で気温が上昇する。昆虫は変温動物なので、あたたかくしておいたほうが良い。
 明るい朝の、暖かい日差しの中で、のんびりしているスズムシたちを見ていると、世話をしている私の気持まで和んでくる。彼らは夜行性なので、日の暮れる頃に鳴きはじめ、夜の明ける頃には声を落としてゆく。私が、ケージの掃除をしたり、新しい餌を与えたりするのは、早朝の時間帯なのだが、その頃には、まだ彼らは起きていていて、元気のあるものは私の手にまとわりついてくる。
 スズムシの鳴くものは雄のみで、雌は鳴きはしないが、そのスマートで優しいフォルムは美しいものである。特に若い雌は、まだ腹が膨らんでもおらず、翅が抜け落ちていることもなく、清涼感があり、綺麗なものである。雌のスズムシの腹が膨らんで、翅が抜け落ちるのは、産卵のためであろうと思量している。台風のあとに、そんな産卵期にある雌のスズムシたちを裏庭に放した。室内の狭い産卵場だけでは、彼女たちの産卵をすべて引き受けられない。屋外に彼女たちを放してしまえば、私が、彼女たちの亡骸を拾うこともなくなる。
 産卵場をみると、今年も卵は確保できたようだ。産卵場は透明なガラスの広口瓶だ。瓶の内側に白いカビが発生しているのが、少し気がかりではある。
 カビについては、昨年も同じ事態を経験した。昨年は、産卵場内の土を取り出して篩にかけ、カビの菌糸を取り去るという、少々乱暴な物理的手段で対処した。まだ産卵後の早い時期に行ったので、卵自体への影響が懸念されたが、今年の春には無事に孵化してくれた。むろん、篩にかけた後の土の中の卵は、乱雑に攪拌されてしまうので、孵化する直前に土をとりだして、面積を広げた空間に浅く敷き直しておく必要がある。初齢幼虫の発生を容易にするためである。
 スズムシの飼育には、適度な湿度が必要なのであるが、湿度をあげるとカビも元気になる。せっかくの卵をカビで失うという実話を伝聞したので、カビの発生にだけは神経質になっている。手間のかからない家畜ではあるが、衛生状態を良好に管理しなければ生命の危機にさらされることは、人間と一緒だ。卵で越冬する期間も、スズムシを飼育しているという意識は変わらない。
 今年は、エタノール(C2H6O)の使用を考えている。感染症の流行以来、総合病院や食料品店、大型の公共施設などには消毒用アルコールが置かれるようになった。産卵場だけではなく、飼育用具全般をエタノールで殺菌消毒するように心掛ければ、総合的にカビの発生を抑制できるかも知れない。
 とりあえず、エタノールを浸した綿棒で、産卵場のガラスの内側に発生したカビの菌糸をふきとり、その外側には液をスプレーして、乾いた布で磨きあげた。清潔なものは気持が良い。動物を飼育する場というものは、見た目にも綺麗にしておくことが、衛生にもつながるのだと思う。

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