コハクチョウ 其之二

Bewick's Swan

 例年のように、地方紙に白鳥飛来の記事が載ると、やはり、それを見に行かずにはいられなくなる。自然界からの賜物は、素直に受けとめるべきで、理屈をこねる前に行動することだ。
 休日なので先客がいる。鳥を観るような人に悪い人はいない。会釈をして、なにも余計なことは言わず、水面のほうに視線を走らせるだけで、現在、コハクチョウがどこにいるのかを教えてくれる。お互いにフィールドスコープやら望遠レンズやらを持参しているので、少ない言葉で会話が成立するのだ。ありがたい先輩である。
 その方は、定位置を決めてしまわれたようだ。私は、まだ移動のできる格好をしていたので、謝礼の言葉を口にした後、その方から、お教えいただいた辺りに、自分なりの見当をつけて歩き出した。私は、この周辺の地理については知悉している。
 さほど歩かぬ内に、白い大きな鳥の姿が見えた。スニーカーでゆっくり近付くが、音や震動に敏感な小鳥たちは、私が彼らの存在を認識する前に、飛び立ってしまう。むしろ、飛び立つから、そこに小鳥のいたことが判るという感じである。この感覚は、小さなコオロギ類を探すときのものに近い。草原を足で掻き分けて、コオロギが飛び出してくるところを捕獲する。居場所はわからなくとも、逃げ出す姿で、その存在が認識できるのだ。
 コハクチョウの姿を確認し、静かに近付く。すると、今度は水面にいたコガモたちが飛び立ち始めた。朝の早い時間で、ヒトの姿は少ない。本日に於ける人類未踏の地に、足を踏み入れているのである。
 コハクチョウは落ち着いている。平然として、朝の食事を楽しんでいる。人間には慣れてしまっているのだろう。望遠レンズやらフィールドスコープやらを持った人間が、自分に危害を与えるものではないことを、既に学習しているのではなかろうか。水中に頭まで潜らせて、マコモの根を引きぬいている。肉眼でも充分に観察のできる距離である。
 私の視力は、左右とも裸眼で 2.0 である。もっとも、最近は正確に検査してはいないのであるが、特に落ちた感じもない。社会人になってからも長時間の勉強をするので、文章を読み書きする時間は多いはずなのだが、視力の落ちる気配もない。もっと勉強をしなければならないのかも知れない。
 今までは、見て帰るだけだった自然観察も、ブログを書くようになってからは、写真を撮るようになった。本当は、写真撮影などの道楽に時間と資金をつぎ込めるような身分ではないのであるが、見てくださる方がいると思うと、手持ちの機材で最高の写真をと、気負わずにはいられない。
 野鳥の生態については、いささかの知識があると自負してはいるが、写真撮影は始めたばかりで、正直なところ、未熟である。カメラやレンズを買う余裕もないし、それらを弄る時間もない。そんな言い訳ばかり書いているのも、それを克服する術を学ばなければならないという強い自責の念があるからだ。貧しい者は、貧しいなりに知恵を絞るのである。
 コハクチョウは泰然として自由である。私のほうが、世俗に縛られており、緊張している。どちらが生物として優位かと言えば、それは勿論、コハクチョウではないか。地球は、植物や昆虫や鳥類の惑星であり、人類は小賢しい添え物だと考えてみる。その方が筋が通る。
 コハクチョウは、群生するマコモの奥へ進んでゆく。もう、写真のことはあきらめて、お帰りなさいということらしい。太陽も、次第にその位置をあげてきた。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中