エビイモ 其之二

taro

 エビイモは待ってくれない。去年のものを掘り出さずに置いたら、とうとう新しい葉をつけてしまった。もとは、スーパーで買ってきた小芋である。
 肥料も水もやってはいない。太陽の光と、雨水とは受けている。自分勝手にやっている。私のするのは、周囲の除草くらいで、それとて裏庭の手入れの一環のことにすぎない。ことさらに手間をかけているというほどではない。
 我が家は、まだ老親が健在である。拙宅の園芸管理制度には、厳しい管轄区域がある。メインである庭の樹木は老父、花壇や鉢植は老母。私の領域は、狭い通路のような裏庭である。裏庭に通ずる小路にまでは、ひそかに侵略を試みていて、やや成功している。裏庭で育てられるのは、コケ植物とシダ植物くらいで、それらをメインに育てている。昨年は、無神経な老父に、大切なシダ植物を引っこ抜かれた。
 ある年のこと、ゼニゴケが不気味に広がる裏庭が嫌になって、私なりの園芸工事を試みた。べとべとして見た目も悪い苔類は引き剥がし、触ってもしなやかで、見た目も美しい蘚類を残した。ごつごつとした石を掘り起こして、土の粒子を整えた。大したことはしていない。簡単なスコップだけの仕事である。
 歩き道に拡散した、緑色のコケのマットを、人の足の届かない場所へと植え替えた。盛んに朔を出して増えてくれる。
 新緑の美しいアワゴケは残すこととして、ツメクサ、チドメグサ、カタバミなどの種子植物は丁寧に取り除いている。キク科、ゴマノハグサ科、イネ科あたりの種子も、頻繁に流れてくるので、これらの新芽も丁寧に取り除いている。これらの作業もムダではない。植物学の勉強になる。
 コケも、シダも、アワゴケも、裏庭に来たものを育てたものである。よその土地から採掘してきて植えたものはない。エビイモが、唯一の例外である。スーパーで、食用として購入したものだ。
 エビイモは、私の領域内では、比較的、日当たりの良い場所にある。冬に葉の絶えた間、老父が、処分した土や雑草を、この芋の上にぶちまけた。私は無言で、それを取り除いた。たぶん、嫌がらせでしているつもりではないのだ。私の父親には、他者に対する思慮がないのである。自分のことしか考えない。それがなぜ悪いのか、いかに善くすべきなのかとは、まったく考えることができない。
 老父のような人間は、世の中に幾らでもいる。人間関係を単純な上下関係でとらえる。話し合いを勝ち負けで判断する。老父と話していても楽しいことはない。ただ、修業には、なっているかも知れない。
 エビイモが葉を出してくれたことは、自分にとって楽しい出来事である。私は、エビイモに援けられている。この単子葉類は、生命の強さを、身を持って私に教えてくれている。

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エビイモ 其之二」への2件のフィードバック

  1. ご無沙汰してます。

    エビイモの生命力ですね。力強い葉です。

    蓮の様な・・・ジャガイモの葉とは全く違いますね。

    大きくなるのが楽しみです。まずは、どんな花が咲くのかなと・・・

    • yukioさん。ありがとうございます。そういえば、去年は花を見ていないですね。「サトイモは花を咲かせない」とも。コメントいただいて嬉しいです。

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